日本とアフリカを 経済でつなぐ 文化でつなぐ 夢でつなぐ

一般社団法人アフリカ開発協会 アフレコについて

 1960年代、多くのアフリカの国が独立を果たし、その豊富な資源を基盤として経済的な自立を目指していました。
先進諸国からの投資や技術の移転を求めていたアフリカの国々に対し、日本は高度成長期にさしかかりアフリカの資源に
大いなる魅力を感じていました。そこで、日本とアフリカ諸国の経済交流を促進する必要から、経団連を中心とする
政財界の有力者によって1970年に設立されたのが現在の一般社団法人アフリカ開発協会です。
 一般社団法人アフリカ開発協会は、日本とアフリカ諸国の経済交流及び文化交流の緊密化をはかり、日本とアフリカ
諸国民の友好親善、相互繁栄に寄与することを目的として、草の根レベルでの経済活動に対する協力や、日本政府や
日本企業に経済効果をもたらすような案件形成を行っています。

Information

代表者挨拶

 アフリカは「暗黒大陸」の時代を経て、援助対象国から「最後の希望の大陸」に変わりつつあります。我が国は「アフリカの安定なくして世界の平和構築はありえない」と考え、アフリカ諸国との関係強化に取り組んで参りました。 一般社団法人アフリカ開発協会は、今から48年前、安倍晋三総理の祖父にあたる岸信介先生が総理退任後に日本とアフリカ諸国の架け橋が必要との要請を受けたことをきっかけに、専ら経済活動を行うことを目的に設立されました。アフリカでは1950年末ごろから独立運動が始まり、60年代に入ると一気にその運動が大陸全土で展開、ちょうど、世界がアフリカという可能性に強い関心を示し始めた頃でした。我が国でも第一次資源ブームに沸きアフリカへの関心はかつてないほど強く、当協会の発足は政財界からの大きな期待を受けてのことになりました。以来、アフリカと日本を経済でつなぐための作業を一つ一つ積み重ね、要所、要所でそれなりの役割を演じてきております。

アフリカ開発協会が共に歩んできたアフリカの近年の歴史は激しいものです。米ソの対立が一層厳しさを増しキューバ危機が1962年に勃発すると、東西対立のあおりを受け多くの国々で代理戦争の紛争が多発、アフリカは再び暗黒大陸と化しました。1989年になるとベルリンの壁が崩壊し東西対立が終焉を迎えました。平和構築が進みアフリカ各国には平和がもたらされたようにも見えましたが、アンゴラ共和国のように2002年まで平和が訪れなかった国もあり、紛争の傷跡は今なお問題として、そこここに存在します。 このような状況下で、いち早くアフリカとの関係構築に尽力したのが日本です。1993年には東京で第1回目のTICADが開催され「オーナーシップとパートナーシップ」の考え方を尊重し、アフリカの開発と発展に寄与してきました。そして2019年夏に横浜で開催されたTICAD7では、経済構造転換の促進及びビジネス環境の改善、持続可能で強靭な社会の深化、そして何よりも平和と安定の強化を求めて日本が大きく一歩を踏み出しました。 私たちアフリカ開発協会は、外務省、JICA、JETRO、JBICなど公的機関と協力しながら、様々な分野での案件形成、案件支援をしていますが、特にTICAD6以降アフリカの医療分野を注視しています。タンザニアのドドマ大学、ケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学とは、各校の医学部と大学に附属する病院に関し、充実と発展を目指して協力していくという包括的なMOUをTICAD7の際に結びました。この先もチュニジアのメディカル・エンジニアの学校との連携やガーナの野口記念医学研究所の充実など具体的にプロジェクトに取り組んでいく所存です。 そしてアフリカの安定と平和についても、今、大きな変化がおとずれていて目が離せません。2018年、エリトリアとエチオピアが手と手を取ってアフリカの角の平和構築へ歩みを進めました。この流れは、アフリカでの様々な問題解決の糸口となり、世界の経済、社会、政治面にも少なからず影響を及ぼしていくことでしょう。

アフリカ開発協会では、アフリカの成長と変化に目を向け、今後もアフリカ諸国との関係強化に努めてまいります。益々のご支援をお願いいたします。

一般社団法人アフリカ開発協会 会長 矢野哲朗